想像したくない現実がやってきた日が、6月19日だった。
このままなにもいわないこともたぶんできた。
それでも、やっぱり私は、君にサヨナラを言おう、そう決めた。
これは、そう言えるようになるまでの、長い長いひとりごと。
※前提
誹謗中傷やデマはだめだけど、
誰のどんな気持ちも尊重されるべきだと思っています。
時間かかってもいいし、なんとなくでも、いい。
もともと◯◯だからこうしなきゃいけない、はない。
そして、ずっと整理がつかないのも、未練も、もちろん。
名前は一度だけ、あとは、君、と呼びますが、嫌な意図はありません)
前回こんなことをかいていました。
→ https://chixi-takasato.hatenadiary.org/entry/2020/05/21/040256
そしてなんとかそこをぬけだしたばかりの私は、5/23の夜、不穏すぎる空気を感じながら、極力黙殺していた。
もっとも黙殺しますよとツイートしている時点で黙殺しきれてはいないんだが。
そして、5/26が、てごの活動自粛処分が、きた。
(会見の説明を経た今でも同じだが)
行動、それ自体に、
一ミリも擁護する気はない。理由は以前かいたままだ、違うと、ひとりの人間としてそう思っている。
ただ、違うと思うだけで断罪しようという気もない、その立ち位置には毛頭いないから。
そして、火曜日だった。
翌日のテゴマスのらじおでまっすーから言及があること、慶ちゃんしげがでることを予告された。
ほとんどのものに耳を塞ぎ、ときに目をそらした。先のことは全く考えられなかった。
24時をまわり、KちゃんNEWSをきいていた。
結局いつの日もKちゃんNEWS頼みの自分の心に、平穏にきける最後かもしれないといいきかせながら。
水曜日。らじおまで何もなくていい、そんなとこにJ-webの更新があり、この先の重さをつきつけられた。
それでも、こう、わりとすぐに言葉がでていた。
ねぇ、君に社会的な正しくなさを強く感じながらも、
それでも、いてくれることを、居場所を、守りたいと。
待つしかないと、その時間が君には必要、
それでも、どこまでも一方的でしかない立ち位置の私だけど、君を手放したくない。
あの瞬間まで、そう思っていたんだ。
人のいろんな気持ちにふれながら、ひとりじゃないことに救われたりもして。
ある程度通常営業をして、明るさを発信してくれている3人にこたえたい、と思ったり。
でも、正直疲れてしまったり。そんなふうに日々は過ぎた。
6/18。Smile Up Projectの一環で行われたHappy LIVE有料版。NEWSがでることが決まっていた。
生配信ではない、事前にJ-webが発信されていた。それをよみ覚悟するようでしきれない感情をかかえて、見届けた。
クローバーの君のパートは、歌われなかった。
いないこと、4人が積み重ねてきたこと、どちらも感じ、歌われる日を待とうと、時間かかっていいからと。
その日は来なかった。
君が、私がいてほしいと、願ったところからいなくなる、
2020年6月19日は、そういう日になった。
たぶんずっと覚えてると思う、2011年10月7日も2020年6月19日も金曜日だったことを。
会見が開かれるときいた。
どこまでもいなくなった君の言葉、でしかない。
君はなにもいわないまま、いなくなる方の世界に行ってしまったから。
わかったことは、想像をはるかに超える異常事態が起きていたということ、もともと辞めようとしていたこと、あまりにもいろいろあるけど、うちのめされるしかなく、3人を思うとどんな言葉でもいいつくせない気持ちだった。
※当時に下書きにいれておいたこと
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1ヶ月先のことも不透明なあの3月のあのタイミングで、STORYができないって見切って(と私は解釈したけど)
退所言い出すのがわからなかった。
なのに、STORYやりとげたかったというのだよ。
時間が惜しくたって、そのタイミングで言い出したことが悪循環の発端だった、と思う。
言い出したことであの情勢下で準備のために動かなきゃってなり、動いたこと(厳密にはそれが撮られたことにはなるけど)が要因で活動自粛になり、
退所に向けた一連のことにつながっていってる。
いつ退所となるかわからないからってなってる時点でおかしくて、そこをきちんとやりきらずに辞めたのが傷を大きくしてるわけで。
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あとから考えても、会見よりか、そのあとの配信の方が私にはアウトだったな…
気持ちはあまり変わっていない。
どうしたって当時の行動は×だ、私にとっては。
会見をきいて、より一層×と思った。
あとから考えても、ひたすら悪循環と、優先順位が違ったこと、だなぁ。と。
こうなると、当時に感じた、協力している人への嫌な予感みたいなのが当たることが、どうしたって耳に入ってくるようになった。
(会見後の配信でアウトと感じたのをさらに煮詰めたようなものとか)
そして。NEWS。
2011年の記憶の消えない私には、本人たち以外に守ってくれる人がいるのか、不安だらけだった。
今に至るまで、見えないところで、3人がどんな思いをしたかはわからない。
それでも、NEWSは今ここにいる。
NEWSは強かった。
ラジオ、配信、テレビ、その後の歌番組でのパフォーマンスで実感した。
STORYをいつかやるという言葉で、救われた。
世界は案外優しかったのかもしれない、と思い直すこともできた。
このままずるずるとはできない、と思うようになった。
気持ちを整理したのが、今日のこのブログだ。
今までのことも、あの瞬間までの思いも、ぜんぶぜんぶ本当のことだ。それはなくなることはない。
大好きで、手放したくなくて、希望の光のようだった君へ。
最後のわがまま、元気で生きていってね。
サヨナラ。