世界のほんの片隅の意思表明

ほんとうは11月にあげようとして、いろいろ起きすぎてこのタイミングになった。2020年終わるで…苦笑




たぶんジャニオタというくくりの人の数だけいろんな考えのある「担当」というもの。

まっすーを担当と名乗りだしたのが04年5月、
ヒナを担当と名乗りかけもちとなったのが04年9月。

担当の定義なんてことも全くわからず、ただどちらも同じだけ好きな気持ちをかかえたわたしは、中学生だった。


学生時代の周り、そもそもの状況、経緯もあり、
いつしか、NEWS担としての人格と、エイト担としての人格をきりかえながらやっていくようになり、
どこかそれは自分でも当たり前のようになっていった。

いろーーーんなことがあり、
自分個人の状態による多少の波はあり、
それでも、変わらないままなんだろう、そう思っていた。

担当ってなに?って考えたりすることすらなかったのだ、
当たり前のように自分の中に組み込まれている感覚、
あれだけめちゃめちゃいろんなことが起きたのにもかかわらず、だ。




そして、2020年。

2020年って、いつもと変わらない1年を過ごしたって人の方が少ないんじゃないかというくらい、目まぐるしかったと思う。


人生ではじめて私自身もやや立ち止まることを余儀なくされたのが2020年だった。

きっかけはもっとも自分自身が混沌とした状態だった春先。





出会ってしまうと、当たり前が揺らぎだすのだ。

実はそれってこわいことでもある。

でも、当たり前を、ほんとうはどう感じているのか?と考える日がくることもあるのだと知った。

考えたことのなかった、担当ってなに?ということ。


わかったのは、自分の中の担当って、抗いようのない気持ちだということ。



そして、とてもとてもこわいことだけど人格をきりかえながらはいつしかできなくなっていて、
自分というひとりが、どう感じるか?となった。


去年までなら予想だにしないことが起きた、けども
NEWSが大好きで大切でしかたなくて、まっすーが大好きで

そして、そもそもこう考える契機となったSexy Zone
運命を変えたのはやっぱりSexy Zoneで、勝利くんで。




エイトを、ヒナの担当を卒業しようと思った。





断じて、嫌いになった、とはちがう。
そして、私がいうまでもなく、素晴らしさには一点の曇りもない。
好きなのはかわりない。ただただ、私の気持ちが変わった、それだけ。


ほんとうはとてもとてもこわい。


もとはヨコヒナのレコメンで、ラジオで育ったオタクだ。
ジャニオタとしての人格形成への影響がめちゃめちゃ大きい。育った場所を離れるのはこわい。



といいつつ、CDも円盤も買うしテレビもラジオも追うし、FC会員もそのままにするし、コンサートに自分が行ける状態になれば(≠開催されれば)行くつもりもある。

行動だけみれば、卒業する必要あんのか?って客観的にみたらなる。


けども、気持ちとして、巣立とうと、思ったのだ。


というわけで、
2020年11月より、NEWSとSexy Zone、まっすーと勝利くんのかけもちになりました。


事後報告!←こらw

以上!みなさまよいお年をー!